触覚から人の可能性を拡張する。
「Haptics」で実現できること

――まずは南澤さんが研究されている「Haptics(触覚)」について教えてください。「視覚」や「聴覚」「嗅覚」といった他の五感の要素と比べて、どんな特徴があるのでしょうか?

触覚は人の表面のすべてを覆っている感覚で、「自分と自分じゃないものを見分ける境界面」の役割をしています。触覚があることによって、「ここまでは自分」「ここから先は自分ではない」ということを判断できるんですね。人は触覚を使って、自分にとって敵か味方かということを本能的に見分けているんです。

つまり、仮に自分が手を伸ばしたところよりも先にあるものに触れられる仕組みをつくって、その感覚が自分に還元されると、そこまでが「自分の感覚」になる。そんな風に、自分の境界面を拡張できる可能性を持っているところが「Haptics」の魅力です。

また、視覚や聴覚に比べて、とてもプリミティブ(原始的)な体験ができることも特徴です。どういうことかというと、触覚は何かに触れないと生まれない感覚なので、それは必ず「自分ゴト」になるんです。

――なるほど。人が何か外部のものに触れたときに生まれる感覚が「触覚」で、その分野においてデジタルテクノロジーを駆使したものが、「Haptics」と呼ばれる領域なのですね。

そうですね。「Haptics」はモノとモノではなく、「人が何かと触れ合う」ときに生まれる感覚なので、「人がどう感じるか」「それによって感情がどう変化するか」を考えて設計する必要があります。たとえば、私たちが毎日身につけている服や靴は「Haptics」の好例です。服や靴は着心地がとても工夫されていて、身に着けている状態こそが自然、むしろないと不安を感じますよね。そのように、「ある状態こそが自然」な環境をつくることが重要です。

僕らはそれを「知覚的な透明性」と呼んでいます。硬くて重いものではなく、柔らかくて軽くて体に馴染むものを素材レベルからつくっていかないと、体に馴染む「Haptics」を生み出すことは難しい。また、「よりリラックスできる触感や、より興奮できる触感は何だろう?」「高齢者の方々がポジティブになれるような触覚や、子供たちがより楽しめる触覚はどんなものだろう?」ということを、様々な人とのかかわりあいの中で見つけていくことも大切です。「技術」と「体験」の両面で、人の生活に馴染む技術を生み出すことが重要だと思います。

――とはいえ、「心地よい」「楽しい」と感じるものには、人それぞれに個人差があると思います。そういった部分では、どんな工夫をされているのですか?

実際、ある触感について人がどう感じるかは個人のコンテクストに依存するので、「こういう触感は必ずしもこういう感情を引き出す」というものはありません。そこで、「あるシチュエーションの中では、こう感じてもらえるんじゃないか」という、文脈を用意することがとても重要です。そこが触覚の難しいところでもあり、面白いところですね。

たとえば、“たわし”がボックスに入っていて、何が入っているかを知らずに触る場合、その触感は気持ち悪いものになると思います。ですが、最初から“たわし”だと分かっていれば、そこに怖さや気持ち悪さを感じることなく、普通に触ることができますよね。指に伝わっている触感はまったく同じでも、怖がって触るか“たわし”だと思って触るかで、受けとる感覚が大きく変わるんです。ですから、「Haptics」においてはそうした複数の感覚の掛け合わせをトータルで考えることが大切です。

エンタメ、ゲーム、スポーツ――。多領域を横断する「Haptics」の今

――では、南澤さんが実際に手掛けられた中で印象的だった事例を参考に、「Haptics/Haptic Design」の魅力や可能性について教えていただけると嬉しいです。

以前、ゲームクリエイターの水口哲也さんやクリエイティブ集団のRhizomatiksさんと組んで、PSVRの『Rez Infinite』用に全身で触覚が感じられる「シナスタジア・スーツ」を制作しました。様々な方に体験していただくと、みなさん自分が現実世界に立っていることを忘れてしまうんです。仮想空間に完全に入り込んで、ゲームが終わって現実に帰ると、みなさん口を開けてポカンとしてしまう。そんな風に、「まったくの異世界に行く」体験を提供できたのは印象的でした。

また、富士通さんとコラボレーションした「B.LIVE in TOKYO」(「B.LEAGUE」のオールスターゲーム観戦の臨場感、高揚感を、立体的なプレーや歓声やコートの振動までを伝達して行う次世代型ライブビューイング)は、「みんなで体感する」という事例として印象的でした。スポーツ観戦はもちろんのこと、地域のお祭りもそうですが、多くの人がひとつの集団となってコミュニケーションする、みんなで一緒に「Haptics」を得るという共体験は、「Haptics」という技術にとって、とても大事な要素です。「B.LIVE in TOKYO」ではそうした共体験を、試合会場から離れた場所にいる人たちともつくりあげることができました。

――その技術はスポーツ観戦にとどまらず、様々な分野に活用できそうですね。

そうですね。以前行った「HUG WEDDING」というプロジェクトでは、「Haptics」とその周辺技術であるテレイグジスタンス(遠隔存在)を活用し、入院されているおばあさんに病室にいながら結婚式に参列してもらいました。そのように、何かの事情でその場に行けない方や、物理的に離れた場所にいる方を繋げることが可能です。テレイグジスタンスと「Haptics」を組み合わせると大規模な音楽ライブにも活用できますし、エンターテインメントの領域にとどまらず、様々なことに応用できると思います。

――他には、南澤さんが事務局長を務められている超人スポーツ協会の活動も、「Haptics」の魅力が伝わる好例と言えそうです。

テクノロジーで身体を拡張し「人機一体」の新しいスポーツを開発に取り組む「超人スポーツ」では、障がいを持つ方もそうですし、僕自身も含めて単純にスポーツが苦手な人でも、自分の身体感覚をデザインしなおすことでスポーツを通した共体験が可能です。また、そこで生まれた技術は、普段の生活でケガをしたときに買い物に行く手段や、高齢者の方が健康を維持するためにも役立つはずなので、スポーツというフィールドを上手く使って、日常でも使えるような技術を生み出そうと考えています。

これまでは、その技術を「支援」として捉えていましたが、ある意味では、単純に「ファッション」として捉えた方がよいかもしれませんね。たとえば、僕は眼鏡をかけなければ日常生活に支障をきたすような視力ですが、眼鏡やコンタクトレンズが広く普及しているからこそ、それを視覚障がいと呼ぶことはありません。

それと同じで、現在は障がいに当てはまるケースでも、克服できる技術が普及すれば、それはファッションと同じようなものになると思うんです。そんな風に、「自分の体をどう捉えるか」を定義することは、「Haptics」の重要な要素です。

――高齢者の方が「Haptics」でかつての身体能力を取り戻して昔の記憶を追体験することなどにより、「記憶」に作用する事例も生まれていきそうです。

実は最近、高齢者の方が入居する施設のスタッフと一緒にプロジェクトを進めているんです。そこで試しに「Haptics」の技術をつかって山登りやダンスをする体験をしてもらいました。そうすると、日常的に車いすに乗っている方々が、足踏みをはじめるんです。

「リハビリをしましょう」と言われると辛く感じることでも、そんな風に楽しさを感じて、かつ自分が実際に行っている気分になると、自然と体を動かすことができるんです。

このように、昔できていたことの記憶を追体験することで実際に身体が動くということは、実はすでに実現しつつあるんです。「Haptics」の本質は、身体が覚えている記憶に介入し、機能を呼び起こせることだと思います。

――現在の「Haptics」の広がりと課題については、どのように感じられていますか?

VRブームなどがきっかけになって、様々な領域に新しい技術を取り入れようという機運は、各所で高まっていると感じています。そのため、色々な方とのコラボレーションが以前よりもやりやすくなりました。一方で大きな課題としては、やはり、「柔らかくて、軽くて、肌に馴染む」アクチュエータやセンサーをつくることですね。素材レベルで柔らかいものをつくる技術は、まだまだ研究の必要性を感じています。

そしてもうひとつ大切なのは、開発した技術を社会実装する際の広め方をきちんと考えることです。触覚の分野は実際に触れないと伝わらないので、たとえばTVで観ても、その本当の魅力が伝わりづらいんですよ。そのため、色々な方に触感を転送して体験できる「テクタイルツールキット」を配布して、体験してもらう工夫を続けていて、現在までの8年間でのべ100万人程度の方に体験していただけている状況が生まれています。

技術が人に寄り添って、短所を補い、長所を伸ばせる時代がやってくる

――「Haptics」を通して、南澤さんはどんなことを実現したいと考えていますか?

「Haptics」を通して、人と人との繋がり方をデザインしなおすことができるんじゃないかと思っています。昔は人々がお互いに触れ合える距離で生活していましたが、現代はインターネットが発達し、スマートフォンのやりとりだけで結婚する人もいる時代です。そういう意味では、人と人とが直に触れ合う機会は、昔に比べて少なくなっています。

とはいえ、そうした環境がもたらす利便性もあるわけですから、単純に昔に戻るのではなく、今の状況を踏まえたうえで、もう一度アップデートすることが必要だと思うんです。その際、現代的な人と人との繋がりの中に、何らかの「Haptics=ふれあい」をもたらすことで、コミュニティがより円滑に機能するようになるんじゃないかと感じています。

触覚から人の可能性を拡張する。
「Haptics」で実現できること

――インターネット社会で生まれている問題には、相手の顔が想像できないからこそ起こっているものも多くあると思いますが、そうした問題を解決する助けにもなりそうです。

それはまさに、僕らが今取り組みたいと思っていることのひとつです。現代はコミュニケーションを取れる範囲が広がった結果、「相手が肉体を持って存在している」ことが想像しにくい環境になっているという側面があります。だとするなら、そこに「Haptics」を取り入れることで、顔の見えない相手が存在していることを実感したり、喜んだり傷ついたりすることが想像しやすくなるはずです。

また、たとえば障がいを持っている方のように、できないことがある場合にも「Haptics」は役立ちます。障がいを持たれている方が、「Haptics」によって身体感覚を実感できる状況をつくることで、何か生きがいをプラスするようなことも実現したいです。

さらに、エンターテインメントの分野で言うなら、「自分が得られない体験を味わえる」ことも醍醐味のひとつですよね。「Haptics」によって、新しい「楽しさ」や「興奮」を体験してもらえるかもしれません。そうして人に寄り添ったかたちでテクノロジーを提供することで、また別の可能性が生まれると思います。

――それは「AFFECTIVE DESIGN」の考え方とも繋がることかもしれません。「AFFECTIVE DESIGN」については、どんな風に捉えておられますか?

最初に「AFFECTIVE DESIGN」のお話をうかがったときに、自分たちが実現したいことに非常に近い印象を受けました。僕らは「触覚」や「身体感覚」を通して「AFFECTIVE DESIGN」に通じることを研究していて、「AFFECTIVE DESIGN」は視覚や聴覚などの五感だけでなく、空間などの環境やあらゆる日常の情報連携も含めより総合的に、同じことを目指している概念だと感じています。

だからこそ、「Haptics」が多領域を横断する際には、「AFFECTIVE DESIGN」と繋がる部分が出てくると思います。僕ら自身も、色々な領域の方々とかかわり合いながら「Haptics/Haptic Design」を広めていこうとしていますが、かなり大きな部分で、目指しているところは一緒のように感じています。

――最後に、デジタルテクノロジーが自然に溶け込んだ社会の実現に向けて、南澤さんが現在考えていることを教えてください。

最近少し思っているのは、たとえば『トロン』や『レディ・プレイヤー1』のようなSF映画的な未来とは違うタイプの未来を目指した方がいいんじゃないか、ということです。これはVRが社会に実装されはじめてわかったことでもあります。というのも、日常の中にそれとは気づかれないほど自然なかたちでテクノロジーの実装を目指さなければ、本当の未来は来ないと思うんです。

つまり、劇的に変化する分かりやすい未来像ではなく、より人に馴染んだ状態の、「テクノロジー」とカタカナで書かなくてもいい状態を目指すことが、「人に寄り添ったテクノロジーの実現」に繋がる気がしています。そして、それが実現した社会では、誰かが持っているコンプレックスが「そもそもコンプレックスじゃないよね」という状態に変わる可能性があるでしょう。

(取材・文:杉山仁、撮影:横浪修)