本は一期一会。
毎回違う情報との出合いがある

田中 まずは幅さん自身の情報の受け取り方について教えていただけますでしょうか。幅さんはふだん、本から大量の情報をインプットしているかと思いますが、どんなふうに読むのですか?

幅 どれを読むかは食事を選ぶ感覚に近いです。たとえば「今日はお肉を食べたいな」という気分のときもあれば、「胃が疲れているから、湯豆腐と野菜でいいや」という日もありますよね。本も同じで、なにも考えたくないときは魔夜峰央の漫画を読もう!というふうに、そのときの自分にとって一番ストレスがないものを選んでいます。田中さんはどうやって本を読んでいるんですか?

田中 代官山蔦屋書店によく行くんですが、何か心に引かかったたくさんの本を集めてきて、店内の椅子に座って気になるところだけを流し読みします。だからこそ、「これは買っておこう」と感覚に訴えかけてくる本に出合えたときはうれしいですね。建築家の吉村順三さんの作品集なんかがそうで、そばに置いておきたくなったので購入しました。

幅 すぐそこにあることが大事なんですよね。安心感というか、紙棚ならぬ神棚みたいなものでしょうか。僕は自宅のトイレの棚に、買ってから開いていない本とか、途中で読まなくなってしまった本を置いていて、そこを“未だの本棚”と呼んでいます。毎日見ていると、不思議と「今、読めそうだな」と感じる瞬間がくるんですよ。本は待ってくれるものなので、手に取りたくなるタイミングを待つようにしています。

田中 反対に、何度も読み返しているものはありますか?

幅 児童文学の『モモ』は、くり返し読んでいます。いつの間にか自分が登場人物の年齢を追い越していたりして、そうすると、子どもの頃とは違う視点が生まれるんです。僕は作中の床屋のオヤジの年齢を超えてしまいました。ともあれ、本は二度と同じように読めない一期一会のもの。宗田理の『僕らの七日間戦争』を今読むと、主人公の子どもたちよりも、その親御さんや先生の気持ちのほうがわかる、みたいなね。新しい本をどんどんサーフしていくのもいいんですが、以前読んだ本を久方ぶりに読んでみると意外におもしろいですよ。

田中 年齢を重ねることも変化のひとつですし、本のなかにある情報に向かいあうときのコンディションや気持ちもそのときどきで変わりますもんね。

読書は、孤独に
情報と向き合う「豊かさ」を
もたらしてくれる体験

田中 幅さんは選書という手段で、不特定多数の人に届ける情報を編集することをお仕事にされています。デジタルなサービスも基本は不特定多数の人に向けたものであることが多いのですが、今、僕はそういったサービスをいかにパーソナライズするかが重要なのではないかと考えているんです。そういった意味で、幅さんの選書にとても興味がありました。幅さんが本の売り場やライブラリーをつくるとき、どのように本を選んでいるのですか?

幅 インタビューワークを大切にしています。先日、熊本にある病院のライブラリーの選書をしたんですけど、そこでもまずは患者さんに話を聞きました。ひと口に患者さんといっても、緩和病棟に入院している人、脳卒中のリハビリをしている人、心療内科に通う認知症の人などいろいろだし、必要な本も違うんです。50冊から100冊くらいの本を持って行って実物を見せながら意見を聞いていくと、だんだん方向性が見えてきます。

田中 空間ではなく、人に合わせて選んでいるということですか? まさにパーソナライズですね。

幅 そうですね。たとえば認知症の患者さんだと、最近のことよりも昔のことのほうが覚えていたりするんです。それもオリンピックや万博のような国民的記憶ではなくて、身近な出来事。昔、農業に従事していた人が多かったと聞いたので、農耕に関する図鑑を持って行ったら好評でした。

それから、写真集だと写真再現性の高い大型本がいいと思いがちなんですが、大きい本をめくることがフィジカル的に難しい患者さんもいる。だから、扱いやすい文庫本サイズのほうが好まれました。

田中 なるほど。そういう身体感覚に関わるところって、頭で考えるだけでは想定しきれないですもんね。

幅 ほんとうにそうです。重要なのは、インタビューを通して、まず1人の読者を見つけること。というのも、現代のアミューズメントって、シェアするものが多くなっていますよね。みんなでYoutubeを観ようとか、みんなでオンラインゲームにログインして遊ぼうとか。

それに対して本は、基本的に1人で読むもの。孤独にならざるをえないっていうのは、読書行為の特性なんです。それは決してネガティブなことではなくて、むしろこの先、「豊かさ」のようなものになっていくかもしれません。だからこそ、個人がほんとうに必要とする本を提案したいんです。

田中 なんとなくの人物像を想定してから選書に臨むのではなく、具体的な1人の人に話を聞くところから始めるんですね。それは少し意外でした。たしかに、時代とともに本を読むという行為の価値も変化しているのかもしれません。本棚から本を選んで1人で読むという行為はまさにAFFECTIVEだと思っていて、その「豊かさ」をデジタルでも創り出したいです。候補となる本は、いつも幅さんが読まれたもののなかから選ぶんですか?

幅 そうですね、といっても何をもって完読というのかは難しいのですが。まずは自分がその本をどう捉えた何を感じたのかを大事にしつつ、その本と人の間を補完するためにインタビューワークもするという感じです。選書に関しては必要なときに記憶の引き出しみたいなものをちゃんと開けられるかが大事だと思います。そして、もともとイメージしていた“自分がすすめたい本”と、インタビューワークでわかった“そこにあるべき本”のギャップを埋めていく作業も、選書だと思っています。

情報過多な時代の
「ちょうどいい」アプローチとは

田中 幅さんが2003年に手がけられた書店、TSUTAYA TOKYO ROPPONGIから16年が経ちましたが、選書をお仕事として続けられてきたなかで、時代が変わってきていると感じることはありますか?

幅 どういう本を選ぶかも重要なのですが、それらを「どう差し出すか」ということがますます大切になっていると思います。

田中 「差し出す」というと?

幅 2019年の3月に、近鉄百貨店 奈良店にある、中川政七商店とタリーズコーヒーのコラボ店の店内に、奈良に関する20タイトルを紹介して売るコーナーを手がけました。壁面に20個の欠き込みをつくって、1タイトルずつ表紙が見えるように置き、キャプションを添える。それに加えて、本の中のアフォリズム(格言)を掲示しました。ようは、この20タイトルがなぜここにあるのか、どんなことをもたらしてくれそうなのか、ということがきちんと伝わるようにした。しかも、本に興味がなくても、アフォリズムは視界にはいってくる。そんなふうに、丁寧に差し出すことが必要になっているんです。

田中 本が売れないといわれている時代だからこそ、工夫が必要なんですね。今のお話は本に限らず「情報」の差し出し方が大事ということだと思っていて、デジタルでも同じことが起きているかもしれません。

幅 まさしくそうです。時間の奪い合いが激しくなっているなか、非常に時間を食う「本」というものを、買ってもらうところまでもっていくのは相当難易度が高い。だから、選書以上に、選んだものをどう届けるかが大事になっているんです。

ある公共図書館の仕事をしたときには、床材も工夫しました。新刊のコーナーは、いろんな人に見てもらいたいから硬めのタイルにして回転率を上げる。一方で、本の内容に没入するのに時間がかかる哲学や心理学のコーナーは、毛足が長めのカーペット敷きにして、滞留を促すようにしました。「読め」と強制されるのではなく、気がついたら読んでいたっていう読書環境がベストだと思っているので、そのあたりは特に考えますね。

田中 僕も、情報とそれを受け取る人の距離感は重要だと思います。本屋で偶然出会ったと思った本も、実はキュレーションされている。その塩梅がどのくらいだと気持ちいいのかなと。たとえばECサイトでは、閲覧履歴や購入履歴からおすすめの商品がずらっと表示されることも多いですよね。求めているタイミングで出合ったらうれしいんですけど、そうじゃないときに情報を押しつけられると、ちょっと引いちゃうじゃないですか。

幅 情報量のさじかげんも難しいですよね。僕の場合、大学時代はタワレコの渋谷店のめちゃめちゃ長いポップをじっくり読んでいたんですけど、30歳を越えた頃から読めなくなりました。そもそも今は時間の奪い合いが著しい時代なので、一見して「長いな」と感じるものにはなかなかアクセスしてもらえない。とはいえ、音楽のように1、2秒聞けばおおまかなニュアンスがわかるものとは違って、本は一瞬見ても内容がわからないんですよね。

田中 たしかに。そうすると、短時間で伝えればいいということでもないですよね。

幅 あとは、もうすぐ通信システムが5Gに変わるじゃないですか。通信回線が速く太くなることによって、送れる情報量も増える。でもきっと、むやみやたらに情報が並ぶと鬱陶しくなるんですよ。今でさえ、SNSでフォローする人はもう増やしたくないとか、「too much」な感じ、これ以上情報に溺れたくないみたいな気持ちを、多くの人が抱いていると思うんですよね。

田中 AFFECTIVE DESIGNは、そういった人の感性や感情をもっと大事にすべきだという思いで進めているプロジェクトなので、その感覚はよくわかります。情報があふれているから、ある程度遮断してコントロールしたいというニーズは大きそうです。

本も本質的には「情報」であると定義すると、デジタルな情報も本のどちらも、人の手に取られづらくなっているのでしょうね。もしくは、人が“選べなく”なっていると言ってもいいかもしれません。だからこそ、受け手に対して、いかに自然に心地よい発見や予期せぬ偶然をもたらすかを考えていきたいです。幅さんはまさにそれをお仕事になさっていますよね。実は僕たちがテクノロジーで実現したいことも、「人間主体で考える」ということなんです。

幅 それは大事なことですね。テクノロジーといえば、最近、キュレーションを担当している豊岡市立城崎文芸館での展示で、1冊の本の文章ができあがっていく様子を映像のインスタレーションで表現するということをやりました。それで、アナログなものとテクノロジーを交えた伝え方って、すごく可能性を秘めているなと。それこそ、人間主体のテクノロジーと僕の仕事を組み合わせたら、おもしろいことができそうです。

もう1つの事例として、兵庫の城崎温泉の「本と温泉」というプロジェクトがあります。これは城崎温泉にゆかりのある小説家を招待して温泉旅館で作品を執筆してもらい、その小説はその地域でしか販売しないというものです。まず、その場でしか味わうことのできないリアルな体験をつくりたいと思って、作家の万城目学さんに町の旅館に滞在制作してもらい、最終的にもお風呂の中で読める防水小説を作りました。他にも、よく家族旅行で城崎温泉に来ていたという湊かなえさんが書き下ろした母娘で松葉蟹を食べまくる小説は、蟹の甲羅のテクスチャのある装丁にするなど、まったく新しい体験をデザインしました。

今後は、現地に行かないと体験できないストーリーの導入部分やその背景を音声データで届けるということを考えています。またそこで興味を持ってもらった小説を旅館で読んで楽しめたり、デジタルとアナログを融合させて本を基点に人の好奇心や行動を動かしたりできたら面白いですよね。

田中 とっても面白いですね。僕は常々デジタルテクノロジーは裏側に存在すれば充分で、直接見えなくてもいいと考えています。リアルなものの近くでデジタルテクノロジーを日常に溶け込ませることで、思いがけない新しい出合いや、新しい人生の旅へ自然に導いたりできないかとも思っています。ぜひプロジェクト化して一緒に取り組んでいかせてください。

(取材・文:平林理奈、撮影:横浪修)